恋愛症状(内藤みか)徳間文庫より11月5日・発売!

 東京駅は、いつもよりも混んでいた。

 三連休一日目の土曜日だからだろう。大きな荷物を持った家族連れが目立つ。このぶんでは車中もさぞかし騒がしいのだろうなと思って、すこし気が重くなる。
 八時五十三分発の、のぞみ。

 土曜日にトオルの元に向かう時は、大抵、これに乗る。そうすればランチの時間に大阪に着けるからだ。そして帰って来るのは、日曜日の十八時五十一分に大阪を出る、のぞみ。早めの夕食をトオルと済ませてから、別 れるようにしている。

 四月にトオルが大阪に転勤になってから、半年が経とうとしている。最初のうちは、お互いに月に一度ずつ行き来をしていたのだが、次第に「忙しい」「疲れている」と彼が言うようになり、私ばかりが新幹線を使うようになった。その回数も、月に二度だったのが、近頃では一度だけに、減りつつある。きっと、そう遠くない将来に、二ヶ月に一度になるのだろう。そして私達の関係なんて、自然消滅してしまうのではないだろうか。

 遠距離恋愛をしているというと、何人かの友達に「じゃあ久しぶりに会うと、結構燃えちゃったりしない?」などと尋ねられるが、そんなことはない。身体が遠く離れていると、心もやはり、遠ざかっていく。最初のうちは、距離の差なんて関係ないと思っていたのに、会うたびに、疲れだけが濃くなっていく。往復二万円以上かけて、往復五時間も新幹線で過ごして、そこまでして会わなくてはならない理由ってなんなのだろう。

 トオルのことは、すごく好きだったはずだ。社内恋愛だった。三歳年上の彼が、同じ課の私にあれこれと親切に指導してくれたのが、きっかけだった。一緒に飲みにいくようになり、いつのまにか、結ばれた。社内恋愛なので、平日も週末もずっと一緒だった。

 でもトオルとは、もう二ヶ月もセックスをしていない。先月会った時に、私が突然生理になり、生理痛が辛くて、できなかったせいだ。そのことについて、彼は、恨んでいるだろうか。それとも、大阪の恋人でも、作っただろうか。

 私はトオルのことが好きだったはずだ。トオルは優しくて全然威張ってもいない。ちょっとおっとりしていておとなしくて、優柔不断気味なところがあったが、イライラセカセカしている男よりは、ずっとましだ。

 彼のセックスは、かなりソフトだった。丁寧に私の全身を撫で、そうっと乳房の膨らみに触れてくる。互いの肌をすりあわせたら、おもむろに、肉の棒を、差し込んでくる。
 彼以外にも何人かと肌を合わせたことがある私は、若さにまかせて激しく求め合った過去を思い出し、時々物足りなく感じたりもしたが、おおむね、二人の仲は上手くいっていたはずだ。

 トオルは、私を撫でるのが、好きだった。とりわけ背中……。私をぎゅっと抱きしめながら、慰めるように、いたわるように、大事なお人形を扱うように、優しく優しく背中を撫でる癖があった。それはラブホテルに入った直後の抱擁でも、ベッドに倒れ込み、全裸になった後でも、それから交わっている最中でも、変わらなかった。特に座位 で繋がっている時など、彼は腰をゆっくりゆっくりと突き上げながら、私の背骨のラインをそろそろと指の腹で撫で上げてくる。

 なぜ、あんなに背中を愛してくれるのか、それはわからない。一度だけどうしてこんなところを? と尋ねたことがある。シーツの上にうつぶせになっていた私のヒップからうなじにかけて、そうっとなぞりあげ続けてきたからだ。

「綺麗だから」
 そうとしか彼は答えてくれなかった。彼のセックスの中で、この背中の愛撫にだけが特徴的だった。時に彼は、背中を舌で舐めてきた。下から上へ、上から下へ、長い距離を、じっくりと味わいながら舌を這わせる。ひどくくすぐったい、濡れた小さなスポンジでのろのろと身体を拭かれているような感じ。それがいつしか快感になっていた。

 時には声を上げたこともある。 
 彼の胸に顔を埋めながら、幼子のように背中を撫で撫でされる幸せに蕩けそうになったこともある。

 彼に愛されている。

 その実感を、挿入とは直接関係のない、背中への愛撫で一番強く感じていた。肉欲ではない深い愛情をかけてもらっている気がしたからだ。
 だのに、彼が転勤になってからは、そんな和やかなムードでの戯れも減っていった。疲れているからといって行うのはいつも、射精が目的なだけの、密度の薄い性交ばかり……。時間も短く、終わったらすぐにお互いが離れてしまうような、そんな淋しい関係に、私達の気持ちは、どんどん離れていった。

 遠距離恋愛だとしても、せめて月に一度くらいは、会いたかったし、抱かれたかった。でも、会ったところで、待っているのは、あまり思いやりのない、セックスだ。大事にされているとか、優しく扱われている、という、あの、背中を撫でられた日々とは、もう、全然違う。もっと愛してもらいたいのに。どう伝えたら、いいのだろう。自分で、この気持ちを持て余している。


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