セックスレス短篇集

恋愛症状

内藤みか

徳間文庫より

11月5日、発売!




指
〜貢いでしまう女〜


  1

 サトシが私の隣
に座った。

 急に、心が華や
いでしまう。顔の
筋肉が緩んでいく
のが、わかる。

 それほど親しく
ない関係の男でも、
膝が触れ合うほど
近くに腰掛けられ
ると、急に仲良し
になったかのよう
な錯覚に陥る。そ
れが、好きな男だ
ったら、なおさら
だ。

 ホストクラブは、
そうした女の心理
をちゃんと計算に
入れて営業してい
るとしか思えない。
客の隣に座ること
ができるのは、指
名者だけだからだ。
客が自分から、隣
に座ってもらいた
い男を選ぶのであ
る。

 だから、もっと
喜んでいいはずな
のに。
 サトシが近くに
来ると、いつも私
は戸惑いのほうが、
先にたってしまう。

 私より五つも下
の、美少年……。

 いやもう二十三
歳なのだから、美
青年というべきだ
ろうか。
 彼が私に微笑ん
で、グラスを掲げ
る。

 ワイングラスに
は、店の名がプリ
ントされたコース
ターが載っていた。

“もう一度ここに
戻ってくるから、
このグラスは片づ
けないでください”

 というメッセー
ジなのだ。
 コースターを彼
が指で摘んで、ど
かす。
 その瞬間、急に、
恥ずかしくなった。

 彼の指は、白く
て長い。子どもの
ころ、母親の命令
でピアノを習わさ
せられていたから
かななんて言って
いたけれど、それ
だけじゃないだろ
う。

 一本一本が、し
なやかな鞭のよう
に、長い。彼がふ
ざけて鍵盤を叩く
ようにひたひたと
テーブルの上に指
を走らせたことが
ある。その時、テ
ーブルになりたい、
と、強くそう思っ
た。私も彼の指に
打たれたい、と。


 その彼が、コー
スターをどかし、
これからまた私と
しばらくのひとと
きを、過ごすのだ。
一瞬の幸福に、私
は浸った。

 コースターを動
かすそのさまは、
女の服を脱がす様
子を、連想させた。
サトシは女とする
時、こんな風に慎
重にお洋服を摘む
のだろうか。

 時刻は午前四時
を回っていた。
 今夜は彼を指名
している客は、今
のところ三組。こ
んなに指名客がい
る彼を見たのは、
初めてだった。

 なんだ、いるん
じゃない、私の他
にも、お客さん。
そんな、ちょっと
だけ面白くない気
分だった。

「ただいま〜」
 他のテーブルを
回って、一時間半
ぶりに彼はここに
戻ってきたのだ。
その間に、彼の他
の客は、ドンペリ
を一本開けて、彼
に飲ませていた。
結構回ってしまっ
ていたみたいで、
彼の目は、赤くな
っている。

 少し、せつなか
った。ホストって、
本当に酒で体を壊
してなんぼの世界
のような気がする。

 でも、酔っぱら
った彼であっても、
すぐ隣にいてくれ
るのは、やっぱり、
嬉しい。サトシが
いない間、私の正
面には、常時二〜
三名のヘルプがつ
いてくれてはいた。

 面白そうな話題
を選んでは、あれ
これ私に聞かせて
くれたが、結局は
それは間つなぎで
しかない。私はサ
トシに会うために
この店に来ている
のだし、サトシが
隣にいなくては、
高いお金を払って
いる意味は、ない。

 といっても、彼
は、人から見れば、
「えッ、この人に
あなた貢いでいる
の?」
 と驚かれるくら
い普通の男であっ
た。

 もちろんいいス
ーツを着て、髪型
も決めているので、
それなりにはカッ
コいい。でも、ル
ックスだけで女に
金品を貢がせるほ
どには、カッコよ
くはない。

 私だって、彼の
顔が好きなわけで
はない。 彼を好
きになった理由は、
ルックスではない。
彼の語り、である。

 ここは、ホスト
クラブといっても
わりと安めの値段
設定なので、二万
円のジンロのボト
ルを入れてあれば、
一晩二万円台で過
ごすことができる。

 だからただのO
Lの私でも、なん
とか遊びに行ける。
そして今日で店に
来るのはもう、何
度目だろう。この
二ヶ月で毎週のよ
うに行っていると
は思う。ちょっと、
多すぎるかもしれ
ないけれど、ボー
ナスもいっぱい残
っていたから、つ
い、頑張ってしま
っていた。

 最初に店に行っ
たのは、サトシの
方から声をかけて
きたからだ。それ
までは、ホストク
ラブになんて、行
ったこともなかっ
た。

 歌舞伎町で飲ん
でいて終電に間に
合わなかったのだ。
一緒にいた友達と
ふたりで、まんが
喫茶ででも夜明か
ししようか? と
一番街の真ん中で
立ち話をしていた
時、

「お姉さん、ホス
トいかない? ホ
スト」
 と、甘えたよう
な声をかけてきた
のが、彼だった。

 くりっとした丸
い、悪戯っぽい目。
なんだか面白そう
な人。ホストとい
うより、芸人みた
いなノリ。それが
第一印象だった。

「五千円で飲み放
題だし、どう?」
「……どうする?
」
 友達の顔を見る
と、彼女もまんざ
らでもなさそうだ
った。マンガ喫茶
でだるくうたたね
しているよりは、
刺激的な夜を過ご
したほうがいいか
らかもしれない。

 私達はどちらも
ホストクラブ未経
験者だったので、
本当に五千円オン
リーなのかしつこ
く念を押して、そ
して、彼について
いった。

 どうしてあんな
に簡単についてい
ったかというと、
彼が多分ものすご
く正直だったから
だと思う。あの晩、
他にも私達に声を
かけてきたホスト
は何人もいた。で
もサトシみたいに
率直に実状を語っ
てきた男はいなか
った。

「頼む! 俺、今
夜客を連れて店に
戻らないと、クビ
になっちゃうんだ」

 またそんな大袈
裟なこと言って…
…と苦笑いしそう
になっている私に、
嘘じゃないって、
とサトシはちょっ
と恐い顔になって
言った。

「信じられないん
なら、店に行った
時、指名表を見せ
てあげるよ。俺、
今週マジでゼロな
の。うちの店週に
一本指名取れない
と、クビなんだよ」

 店に入って彼は
二ヶ月目だという。
最初のうちは女友
達や元彼女らに声
をかけ、奢ってや
ると言って自腹を
切って、店に連れ
ていって、どうに
か指名ノルマをク
リアしていたのだ
そうだ。

 だが、いよいよ
ネタも尽き、夜の
街でキャッチをす
るしかなくなった
のだという。

「キャッチ、難し
いよ。だって街に
ホストいっぱいい
すぎるし、女の子
達も選ぶしさ。俺、
トークだけしか自
信ないけど、話も
聞いてもらえない
から……」

 すこし、しょげ
た顔。
 最近は、成績が
良くないから、と
店でも冷たく扱わ
れることが多くて、
肩身が狭いのだと
いう。

「多いんだ、俺み
たいに、全然売れ
なくて辞めてっち
ゃうホストって。
キャッチ、つらい
もん。一週間もも
たないで速攻辞め
ちゃう奴も多いよ。
二ヶ月も続いてる
から、結構タフな
方、俺は。でも全
然客、増えないけ
ど」

 自嘲気味な喋り。
だのに、なぜなの
だろう、引きつけ
られていく。もっ
と彼の話を聞きた
かった。もっとも
っと、惨めな、話
を。

 私も、惨めな女
だからだ。
 心の中は、恋が
終わったばかりで、
空っぽだった。フ
られたのだ。フら
れたといっても、
普通の失恋ではな
い。妻も子もいる
ハラダという男に、
捨てられたのだ。

 いつか離婚する
から。いつか結婚
しようね。そんな
ハラダの言葉を本
気で信じて、二年
間も、だらだらと
関係を続けてしま
っていた。

 二年も続いたの
に。終わるのは一
瞬だった。妻が勘
づき始めているん
だ。それだけの、
一言で。取り残さ
れた私は、ハラダ
の荷物が引き揚げ
られてがらんとな
ったワンルームマ
ンションで、ぼう
っとする毎日を送
っていた。

 男なんて、みん
な嘘つきだ。

 そう思っていた
だけに、サトシの
グチも、どうせ客
を引くための嘘で
しょ、という気が
していた。彼だっ
て、なんだってい
いのだろう。客さ
えついてくれれば、
口から出任せでも、
なんでも。

 でも、彼が演出
していた惨めっぷ
りが妙に気に入っ
た。共鳴してしま
ったのかもしれな
い。

 私はキャッチな
んてしたことはな
い。実生活で逆ナ
ンパをしたことな
んてもちろんない
し、自分から男に
告白したこともな
い。だけど、いつ
来るかわからない
男を待って、ひた
すらじっとしてい
た。

 でもなかなか客
を掴まえられない、
とサトシは言った。
私も男の心を掴ま
えきれなかった。
去られてしまう哀
しみを、彼ならわ
かってくれそうな
気がした。別にわ
かってもらえなく
てもいいのだけれ
ど、どうせ一緒に
飲むのなら、少し
淋しい男のほうが
いい。

 そして一度だけ
のつもりで入った
ホストクラブに、
私はもう十回以上、
足を運んでいる。
 サトシに、ハマ
ってしまったのだ。

 こんなこと、恥
ずかしくて、一緒
に行った友達にも
打ち明けてはいな
い。携帯電話にか
かってきたコール
を断ることができ
ず、ずるずると彼
に会いに通ってし
まっている。

 今までで彼に注
ぎ込んだお金は三
十万円くらい。貢
いでいるというほ
ど大きな額ではな
いが、OLとして
はかなり限界に近
くなってきてしま
っている。店と取
り分はフィフティ
フィフティだとい
うから、彼の懐に
は十五万円が確実
に歩合給として入
ったことになる。

 私が毎週店に行
っているので、指
名のノルマもクリ
アできているだろ
うし、ホストとし
て少し自信もつい
てきた頃、だろう
か。

 とはいえサトシ
から別に、何もし
てもらってはいな
い。毎日のように
電話が来て、今な
にしてる? 今度
いつ来れる? と
聞かれるだけだ。

 向こうは営業活
動なんだろうけれ
ど、食事や映画に
誘ってきたことも
ある。でも、さす
がに断った。

 あの黒っぽいス
ーツ姿の彼と一緒
に街を歩くと、ホ
ストに貢いでいる
女ですと言って歩
いているようなも
のだ。知り合いに
でも会ったら、目
も当てられない。


 なのに、サトシ
は今夜も席につく
なり、
「マミちゃん、い
つになったら僕と
店外デートしてく
れるのよ〜」
 と、絡み始めて
いた。

 そして絡まれ、
誘われていると、
なんだか私もひど
く心が安らぐのだ
った。男に求めら
れているというの
は、どんな形状で
あっても、女をほ
っとさせる。生き
ていていいのだな、
という気に、させ
られる。

<ここまで>


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